つるこぽん

2016年02月号 vol.26

卒業サムライからのメッセージ~ 渡邊 大祐~

2016年02月29日 21:23 by iketo_hirokuni
2016年02月29日 21:23 by iketo_hirokuni

ツルハシブックスという場所

     

        

二一〇六年三月 卒業生 

渡邊 大祐(たかお)


「自分にとってのツルハシブックス」

 

 なんでサムライをしたいと思ったのか、今になってしまうと意外と思い出せない。たぶん、ツルハシに来ている人たちの顔や雰囲気に惹かれたのが原因だと思う。自分もそう思ってもらえるような店員に今はなれているんだろうか?さて、いきなり小見出しからそれた話になってしまいましたが、僕にとってのこの場所は、一言では言い表せない場所になっています。

強いて言うならば「居場所」でしょうか。


「居場所論」 

 居場所ってなんだって思うじゃないですか。僕の大学の研究室はこの居場所について建築的に考える研究室です。葉月さんに「居場所論者」のポジションを取られてしまったので、ここでだけでも自己顕示をしたいと思います。

 居場所っていうのは僕個人の中では「最多少数のための幸福場所≒隙間」と思っています。ややこしいので説明すると、少数のための幸福場所の最も多い場所が作られるべき居場所であるという考えです。多数決主義的な最大幸福に省かれてしまった人たちのための場所ともいうことができます。その人たちはどこを求めるか、どこに向かうか、どこで過ごすかというと、これが居場所なんです。そして、それは精神的にも空間的にも人と人の隙間であったり、空き地であることが多いために、僕は「≒隙間」だと考えています。

 今の世の中は大多数のためにつくられすぎています。それが一番手っ取り早くいい場所・モノを作ることにつながってしまうのも非常に悲しいです。そんな社会に真っ向からぶつかってるツルハシが僕は好きです。最小の幸福は常に保持し続けなくてはいけないと僕は思うわけです。


「ツルハシブックスは本を売る場所か」 

 本を売ることの意味が一般の書店と全く異なるのがツルハシの変なところですね。普通の本屋ってある意味で利益主義的な面が大きいと思います。本を売って、その先にあるお金を一応は目的に販売をしている。それに反してツルハシブックスは、本を売ることが目的というよりも、本を配ってるに近いんじゃないか?というくらい反利益主義的な気がします。本当は僕たちは、ある種慈善事業的な活動をしたいんだと思って僕はスタッフをやっています。そして、それがとてつもなく楽しいんです。


「本のセレクトショップ」

 お客さんに「ここってどんな本屋?」と聞かれると、僕は「本のセレクトショップです」とよく答えていました。ここに選書された本は、僕たちサムライがお客さんに読んでほしい本を仕入れています。だからこそ話しながら、本のよさを語りながら、売ったり処方したりできるわけです。これってまさにセレクトショップじゃねぇか! と3回目のサムライくらいから思い始めました。だからこそ、目の前に売りたい人がいるからこそ、ここで本を買ってもらえるのかなぁと思うわけです。「売りたい」というより「読んでほしい」が正しいのかな。ん?前節の話と混同し始めたな。まぁいいとします。


「誰のための場所なのか」

 少しずつぐいっと核心に迫りながら話を進めたいと思います。誰のためだと思います?っていきなり聞かれても割と答えられるのがツルハシに来ている人のすごいところなんですが、ここでは私の思うツルハシが誰のためにあるのかを考えていきたいと思います。はい、今も考えています。

 その前に、これは勝手な個人的意見なのですが、「中高生のため」というスローガンを掲げている理由を、自分の目線から本当に勝手に書いていきたいと思います。この文章を真面目に考えすぎると悩む人もいると思うので、落書き程度に読んでください。物事は簡単に言うと「準備→成立→成長→停滞・成熟→衰退」で進んでいくというイメージが僕にはあります。そして、ツルハシは今まで(僕が情報を得ることのできた限りでは)「成立→成長(→停滞)」を繰り返しているように見えました。それが、僕が入る程度からですかね、「成熟」の時期に来ていたのかなと、もう少し言えば、差し迫る「成熟」をツルハシにいる人達、特にサムライが強く感じ、恐怖していたのかなぁと思います。そこで、ツルハシがどんな場所なのか、何のために、誰のためにあるのかをもう一度大きく決めることで、今まで起こっていた、事象は別にしてのいい循環をもう一度起こそうとしていたのかなと、起こさないとヤバいと思っていたのかなと考えています。しかもそれを起こすには大雑把ではいけない。もっとピンポイントなものじゃないと対流が起きない。そこでできたのが「中高生のための場所」というイメージがあります。間違ってたらごめんなさい。

 では、誰のための場所なのでしょうか。ぶっちゃけわかんないっすね。ただ、僕は店員をやっている間によく考えていたのは「今、重い扉を開けて、初めてあの無機質なアルミサッシをくぐるお客さんのために、自分が今何をできるのか。」という事を常に問いかけていました。だから、僕にとっては「居場所」を求めてくる自分と等身大で心のある人間が心地よくいられる場所なんです。これは僕の中のツルハシのサブタイトルです。だからこそ、僕たちのように今ツルハシにいる人は占有しないでいてほしいな、なんて思います。長くいればいるほどツルハシでの力は掛け算のように大きくなっていくと思います。だからこそ内に向きすぎてはいけない、そこに入る異分子を跳ね返してはいけないかなぁ、なんて感じです。まぁ、これからいなくなる人間のたわごとと捉えてください。


「サムライという超人集団」

 ちょっと重苦しい話になってきたので、空気を切り替えて。自分がなっといて言うのもあれですけど、サムライって超人変態集団だと思うんですね。日々かなり大変な作業量や解決すべき事案を「無給で」やってるわけじゃないですか。それって普通に考えたら本当に頭おかしいですよね。でも、楽しいんですよ、これが。最高の半年でしたね。大学生活でおそらく一番辛くもあり、楽しかった半年だったと断言できます。

 話を戻しまして、サムライをやってる人の持っている能力が総じて高い事。ここに無給でツルハシがやっていけるツボがあると僕は考えています。普通って、何かの物事に対する目に見えて簡単な対価があった方がパフォーマンスは上がると思うじゃないですか。それは確かにツルハシにもお金という意味以外ではありますが、それはここでは置いておいて。僕はサムライはパフォーマンスが落ちない、もしくは高くならなくてはいけないと考えています。よく新聞のコラムなんかで「店に入れば社員もアルバイトも同じ」なんていう記事を見かけます。それとは少し違うのですが、僕らは無給で働いているからこそ、給料をもらっているよりも良い動きをすることに価値があるし、また、お金以外の何かを見つけることができるのが、本当に価値のある事だと思っています。そして、よく働くサムライはそれが自然とできているのかな、なんて思うんですよね。お客さんも店員も、自分からどれだけ価値を見出して楽しく時間を消費できるか。まさにアートであり作品だな、なんて思います。まるで本みたいですよね。


「謝辞」 

 劇団員の方々、ツルハシのお客さん、サムライの皆さん、他にもいろいろ関わって助けてくださっている方々にとっても感謝しています。ありがとうございました。短い半年という期間でしたが、主にツルハシ外でですが辛いこともかなりあったし、本当につぶれて心折れそうな時に助けて頂きました。おかげで何度も不死鳥のように蘇ることができました。どうせまた心が折れたらふらっとやってくると思います。その時はよろしくお願いします。本当に半年楽しかったです。ありがとうございました!割と書きながら泣きそうでした。

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